2019年9月24日火曜日
セブパシの午後便で日本に一時帰国 機内で急患が・・一時緊迫
搭乗前にゆっくりと本格コーヒーを味わっていると、インド・マレーシア系
の方がグループで隣りのテーブルに座り、大きな声でしゃべり始めたので
居心地が悪くなり、少し早目に席を立ちました。
搭乗口方面に向かおうと、朝便の搭乗口方面に歩いて行くと、搭乗口前の
待合席に番号がふられていて、どうやら待合の座席エリアを指定する方式を
とっているようです。
航空会社はやはり日本の航空会社です。
日本国内であればあまり違和感はないのですが、フィリピンの空港では
一寸違和感を感じました。
ここまで統制されているのはフィリピンの比較的自由な雰囲気のある
文化に馴染まないのではないかと感じました。
フィリピンの人だったら、番号が書いてあってもおそらく無視して
好きなところに座るのではないかと想像しました。
搭乗口に歩く方向を間違えたので、引き返し反対側の突き当りにある
指定された搭乗口方面に長い距離を歩いていると、黄色のシャツと
ブルーデニムのスカートをはいたCA数人を乗せたカートに追い越されました。
以前は、ユニフォームに身を包んだCAのグループが靴音をカツッ、カツッと
立てながら搭乗口迄の長い通路を歩いていたのですが、セブパシの搭乗口は
いつも空港ビルの一番端の方にあるので、乗務員は毎回のことなので確かに
大変だろうなという気がしていました。
カートは乗務員を降ろすとUターンをして帰って行きました。車両には
セブパシフィッククルー専用と書かれていました。
搭乗が開始され席に着くと、機材はA321で新しい機種を使用していました。
搭乗口を離れたのは予定時刻の5分前で、その後離陸許可待ちをして
離陸しました。
離陸後約1時間半程度経った頃、乗務員から急なアナウンスがあり、
機内にお医者様、看護師がいらっしゃったらメディカルアシスタンスの
為、お申し出くださいというメッセージが流れました。
機内は一時緊迫し、CA達は早足に動き始めました。その内の一人は
細長い酸素ボンベを抱えて私の後方の席に急いでいました。
二人の医療関係者と思われる女性が私の席から3列目後方で救急措置を
始めていました。
私の席からは患者が女性なのか男性なのか、大人なのか子供なのか
患者は横たわっているので全く分かりません。
私は体をよじって時々後ろを振り返りましたが、救命措置は延々と
続き、更に医者が乗機しているかどうか同様の機内アナウンスが
再度あったので、先に駆けつけた女性二人は医師では無かったの
かもしれませんが、パーサーに薬などの指示をしているようでした。
私はもし患者の様態が危篤の状態で、機長の判断で途中の都市
例えば台北空港に緊急着陸をするかもしれないことも念頭には
ありました。
もう40年程前にはなりますが、マニラから東京行き航空機の
フラップ故障があり、台北空港に緊急着陸をして結局一晩ホテルで
待機した後、翌早朝出発した事があったので、どうなる事かと
成り行きが気になりました。
約1時間後、患者を取り囲む乗務員の顔から緊張感が取れ、
医療関係者の方が患者に何やら話しかけているのが聞こえ
ました。
結局、看護は医療関係者が通路に跪いたり、立ったりしながら
ずっとその場を離れず、乗務員は交代で酸素ボンベを4~5本は
交換したのではないかと思います。
成田空港に着くまで、ずっとこの状態が続いたのですが1時間半程
経つと乗務員の顔がほころび始めたので、緊急事態の山は越した
事が伺われました。
成田空港には到着予定時刻より20分程早めに着陸したのですが、
到着してドアが開けられるとスイスポートと書かれたベストを
着た救急班が数人乗り込んできて、患者をタンカに乗せて通路を
引きずって救急ドアから患者を機内から外に出したようです。
タンカが通り過ぎる時に見た患者はフィリピン国籍と思われる
中年の女性でした。
その間、一般の乗客は席に座って待機する事になりました。
その後は通常どおり降機し、家路に着きましたが、機内で
亡くなったり、途中で緊急着陸が無かったのは不幸中の幸い
だったと思います。
長時間に亘り、気になって体を捩󠄁っていたので、右肩と首の
筋肉が痛み始めました。
機内で救急患者が出た経験は今回初めてでしたが、このような
事が実際あるものだと再認識しました。
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