2019年3月25日月曜日
アンヘレスを偏見の目でしか見られない人達
昨日の幣ブログに対して多くの方からご意見、ご激励の
コメントをいただきましてまことにありがとうございました。
非公開のコメントも数多くいただきましたので、ここに
お礼申し上げます。
11年前アンヘレス市にあるバリバゴに引越しをしてきた当時、
フィリピンのインターネット環境は今とは比較にならない程
まだまだ低速で、なかなかコンスタントに接続できる環境には
ありませんでした。
ただ、マニラのインターネット環境から比較すれば安定的で
スピードも速く、この事がここに住もうと思った理由の一つ
でした。
その他にも、米軍基地があったせいか、道路も広く、外国人が
住むのには便利な環境があり、マニラに比較すれば渋滞も少なく
生活に必要なものは殆ど歩ける範囲又はジープで済ませられる
事も魅力でした。
車両による大気汚染も少なく、台風シーズンにはマニラでは
あちこちで洪水になるのですが、ここでは道路が緩やかに
傾斜しているせいで、雨水は隣り町の方に流れていってしまいます。
1991年のピナツボ山大噴火でアンヘレス市は噴煙による降灰や
火砕流に覆われ、その後の復興に二十数年はかかったものと
思います。
バー街もその復興を速める力にはなったと思いますが、現在は
経済特区を中心にセントラルルソンで最も経済発展が進行して
いる街となっています。
現アンヘレス市長も数年前にアンヘレスはもはや罪の街ではないという
コメントを発表しています。
今ではフィリピンで5番目、セントラルルソンでは最も安全な
都市となっています。
それにも拘わらず、この10年が何の変化もしなかったかのような
10年前の情報、記憶に基づくアンヘレスの捉え方を続けている方は
時代錯誤のような気がしています。
是非、現在のアンヘレスを理解していただける事を望んでいます。
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頑張って下さい。私はファン読者です。もう将来のない日本は諦めてtarlacに住んで骨をうずめようかと思ってます。ただ、まだ日本人は少なく、日本料理屋もほとんどないですが、、、、
返信削除どこにも、偏った人はいます。読者・ファンより