フィリピンペソの為替が日本円100に対して38ペソを
下回ったのは今回が初めてではありません。
2007年には為替が大きく変動して年末には一時期37を
下回った事があります。
(FXtop2007年)
この先このままではフィリピンに居られないのではないかと
思っていたところ、2008年には年後半にかけて大きく上昇、
年末には52になったこともありました。
(2008年)
現状苦しい為替ですが、ある程度我慢をしてゆけばまた円が
復活することもあるのではという期待をしているところです。
2007年のフィリピンの政治状況をAIに訊いてみました。
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BardのAIによる解説です。
2007年フィリピン政治においては、以下の3つの出来事が特に重要であった。
政治的殺害の増加
2006年2月の軍事クーデター未遂事件以降、フィリピンでは左翼活動家やジャーナリスト、人権活動家などに対する政治的殺害が急増した。2007年には、人権団体カラパタンの報告によると、1,000人以上の政治的殺害が記録された。
この政治的殺害は、フィリピン政府が新人民軍(NPA)との内戦を激化させるために、軍や警察に超法規的措置を許容しているとの批判が国際社会から相次いだ。
議会選挙・地方選挙
2007年5月には、議会選挙と地方選挙が行われた。グロリア・マカパガル・アロヨ大統領率いる与党連合は、議会で過半数を維持したものの、地方選挙では野党に敗北した。
この結果は、アロヨ政権に対する国民の不満の高まりを示すものであり、政権の求心力低下を招くことになった。
アロヨ大統領の再選
2007年6月には、アロヨ大統領の再選を問う国民投票が行われた。アロヨ大統領は、過半数の支持を得て再選を果たしたものの、得票率は前回選挙を下回った。
この結果は、アロヨ政権に対する国民の不満が依然として根強いことを示している。
これらの出来事は、フィリピン政治の混乱と不安定さを象徴するものであった。
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ハマス-イスラエル紛争で昨日までにフィリピン人2名が亡くなったと
報じられました(GMA)
一人はパンガシナンの33才女性介護士、1名はパンパンガの男性42才と
判明しています。
もう一名はDNA鑑定中。
外務省によれば38名がイスラエル紛争地域から帰還を求めていると
いう事です。
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