2016年3月14日月曜日

斎場で白骨となった母


葬儀場をでた棺は霊柩車に乗せられ、ゆっくりと

斎場に向かいました。




喪主の長男が位牌、長女が遺影を持ちました。

霊柩車に同乗したのは姉と私、2人の母の孫達でした。




火葬場にはマイクロバスで約28名が詰めかけました。

今回は寺の住職も同行してくれ、列の先頭に立って

母を導いてくれました。




火葬炉の前で最後のお別れをした後、約1時間半程

待合室で食事をしながら火葬が終わるのを待ちました。




火葬が終わると案内があり、炉の中から白骨となった

母が出てきました。

大正生まれの母が出生してから骨になるまでの長い

年月が一瞬だったような錯覚を覚えました。


胸の辺りからは焼けたペースメーカーも骨の間に見つかり

ました。納棺をした釘も端の方に集められました。


火葬場まできた親戚、縁者で2人一組になり、長くて太い竹箸で

足の方から白骨を拾い、骨壷に収めました。


もう一度全員で葬儀場に戻って解散となり葬儀が無事

終わりました。

体から力が抜けた気がしました。


骨壷は自宅に戻り、後飾りの祭壇が組まれて

安置されました。









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2016年3月13日日曜日

告別式の花入れ 誕生日の葬儀


母の告別式は昼前に始まりました。


ストーブの前で発見された時、首から胸にかけて

火傷が酷く、帰国当日の夕方、検案の為警察の

霊安室に収められた遺体を見た時には火傷をした

辺りは赤く変色し、親戚も葬儀前に会いたいという

希望があったのですが、そのままではあまりに醜い

ので、告別式当日まで葬儀社の霊安室に収められて

いました。




親戚や親しい友人は棺の開かれた顔の小窓から

まじまじと最後のお別れを惜しんでいましたが、私は

あまり長くは見ていられませんでした。


この日は 奇しくも 母が生きていれば丁度93才の

誕生日にあたり、葬儀社からバースデーケーキが

準備されて棺の横に置かれました。




誕生日という事は分かっていても、他の事に取り紛れて

ケーキの準備までは頭が回らなかったので、葬儀社の

心配りには感謝です。



この日の4日前に、臨月の姉の長男のお嫁さんが、出産

予定日はまだ月の後半なのに、破水し病院に運びこまれた

と聞きました。


姉もこんな時に何故という気持ちだったようですが、忙しく

病院に駆けつけました。


赤ちゃんはそのまま無事出生し、告別式3日前の誕生日と

なりました。女の娘でした。


今回の母の急逝では、私がまだフィリピンに居て早朝

母の危篤を知り、インターネットで帰国便を手配している時に

短かい時間でしたが停電があり、何か虫の知らせがあった

ような気がしました。


後で死亡時刻を検証してみると、この停電の時刻と符号して

いたのには、背中が寒くなる思いでした。


告別式の前にも、家が好きだった母は遺体が見苦しかった

為、葬儀社の薦めもあり、葬儀社の霊安室に納められて

いたのですが、葬儀の前の準備やら家族で食事に行く時など

どういう訳か、一日に何度もその葬儀社の前を通る事が

多かったのは霊安室から母が呼んでいるのではないかと

家族で話をしました。




住職の読経の後、祭壇の花を摘み取り棺に花入れを

家族、会葬者で行いました。




花は棺から溢れ出るほどでした。

最後のお別れです。




棺の蓋が被せられ、出棺の準備が整いました。







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2016年3月12日土曜日

バスタブ付き遺族控室のある葬儀ホール


会葬の人達が帰ったあと、家族だけでの通夜が

始まりました。


この葬儀ホールは棺近くに置かれた香の火を

絶やさないよう控室から時々見にいける様に、

スライドドアで仕切られているのですが、その

控室には驚く事に西洋式のバスタブが付いて

いました。




交代で時々棺を観にいくにしても、螺旋の香は

夜11時頃新しい香に変えれば、朝まで持つと

言われてもやはり気になり、3時間毎に観に行った

のですが、朝4時前に目が覚めてしまい、寝られなく

なったので、バスタブにお湯を張り、暫らく体を温めると

緊張が解けて、体が楽になりました。


部屋は和室でちょっとした旅館の部屋のようになって

いたので、翌日の告別式にも過労にならずに済みました。


24年前に父が亡くなった時には、自宅で通夜をしたので

田舎の親戚が大勢周りに居て、体が休まることがなかった

ことを思うと、格段の進歩です。


朝にはおにぎりの朝食が準備され、告別式には体調が

極度に悪くなる事もなく、式を迎えられました。








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2016年3月11日金曜日

花の祭壇 通夜


母の葬儀を行うに当たり、どのような祭壇にするか

決める必要がありました。


これはかなり早めに打ち合わせがあり、帰国当日、

夕方からの葬儀社との細かな打ち合せ項目の中に

入っていました。


葬儀社のカタログの中から選んでいくのですが、

もう15年もフィリピンに住んでいるので、他の家の

葬儀が最近どのようにされているのか見当がつき

ませんでした。


親戚関係の葬儀には主に母と、私の長男が運転手として

出席していたので、どのような祭壇にするかは、姉の

意見と葬儀社の最近流行の形を聞いて決めました。


結局は花の祭壇になりました。




葬儀会場に飾る生前の写真も依頼されたので、孫達が

一緒に撮った写真が15枚程選定されました。




通夜には地元の自治会の組の方が受付をする事に

なっているので、事前にお願いしておきました。


約7名の受付係の方々に香典の集計と香典帳の

まとめをしてもらいました。


香典帳は以前の記憶では数冊のノート型のものに

記帳をしていたと思いますが、今回は一人に対して

一枚づつカード型のものに記帳してもらい、バインダーで

綴じるタイプのものでした。


通夜には親戚、仕事関係や地元の友達関係の人達で

150名近くの会葬がありました。


女性の通夜としてはかなり多かったのではないかと

思います。




清めの席でお酌などをして過ごした後、家族だけで

食べた料理ですが、姉等は和服を着ていたのであまり

お腹に入らなかったようです。








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2016年3月10日木曜日

素晴らしい会葬礼状はこうして作られた


母の葬儀まで何かと忙しい日々が続く中、

通夜まであと3日という日に、香典のお返しに

付ける会葬礼状の原稿締め切りがありました。


この会葬礼状はオリジナルで、故人の人柄、趣味、

家族構成、職業、逝去した場所、故人にかけてあげたい

言葉等をチェックリスト形式でファックスで送るだけで

出来上がるシステムになっていました。


チェックリストは主に私の長女が作り、おばあちゃんに

よく可愛がられていた孫からのメッセージが入って

いました。




その後特に校正等の手続きを踏む事無く、通夜

当日には返礼品に付いているのには驚きました。


返礼品の準備数さえ間違いがなければ、他の事に

気がとられていても、完璧に準備が進むシステムにも

感服しました。


この挨拶は告別式にも朗読され、あまりにも生前の

母の様子を彷彿とさせる内容だったので、喪主として

私の隣に座った長男がこの朗読を聴き、グスッ、グスッと

涙が止まらなくなり、涙は出ないだろうと思っていた私も

つられて涙が出始め、私が担当した通夜挨拶をする時には

花粉症と涙で声がつまり、準備をした挨拶文を読むのが

精一杯となってしまいました。







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2016年3月9日水曜日

遺言書を捜す 金庫の鍵


葬儀の大方の急ぎの準備手続きが終わり、

母の残した遺言書を捜すことにしました。


以前から私はもう大分年令も高くなってきていて、

日本に居るよりも海外に居る時間の方が長いので

私の長男で母の孫に財産を残すように言ってあり

ました。


私には年令が4つ上の姉も近くに住んでいるので、

安心して海外生活もできるようにとの思いもあった

からです。


母は2年前に私の長男を養子にしてあったので、相続の

際には出来るだけ孫に継承してもらいたいという気持ち

を持っていました。


まず、何時も使っていた家庭用の金庫の中を見てみる

必要があったのですが、母が急逝したので、金庫を開ける

鍵がどこにあるのか分かりません。


家の中をさんざん捜したのですが、見つからなかったので

姉の同席している時に鍵の救急に依頼をすることに

しました。


鍵とダイヤルで開ける方式ですが、年をとって目が見え難い

こともあり、ダイヤルにはガムテープで廻らないように工夫が

してありました。


かなり時間をかけて開ける努力をしたのですが、

結局ドアは開かず、最後の手段で鍵をドリルで壊す

方法をとりました。


金庫の中は殆ど書類入れのようになっていて、土地、家屋の

権利書等が入っていました。




現金は殆どなく、唯一聖徳太子の旧1万円札1枚、伊藤博文の

千円札2枚、岩倉具視の500円札1枚等が出てきました。


記念にとって置いたものだと思います。




小さな箱の中からは記念コインのコレクションがでてきました。

東京オリンピックの記念コイン等が混じっていました。


ところが、どこかにあるはずの遺言書はその中には

入っていませんでした。


結局は、長男がこれは絶対開けるなと言われてどこかに

しまってあった封筒の中に遺言の公正証書が入っていました。


長男もそれが遺言書だとは知らなかったようです。







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2016年3月8日火曜日

法名(戒名)を住職に依頼する



帰国2日後、葬儀社に作ってもらった訃報を基に

自治会の訃報が公園横の掲示板に貼り出されました。


葬儀を行うにあたり、最初に母の法名を付けてもらう為、

お寺に行きました。


住職は幼稚園も掛け持ちしているので忙しく、

連絡をとるのが比較的時間がかかりました。




住職にお会いできたのは園児の遠足から寺に戻った

午後の遅い時刻になってしまいました。




寺は500年以上の歴史のある古いお寺で、本堂の老朽化が進み、

丁度建て替えをする為、更地になったところでした。





新本堂の完成予想図ですが、檀家の寄付をもってしても

なかなか建立をするのは大変なようです。


母も檀家として相応の寄付をしていました。


ただ、新堂建設には時間がかかり、直近の法事等には

使えないので、幼稚園の中に作った仮の本堂で行う

ようです。








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